はじめまして、さくなです。
この記事では、
一方的に離婚を突きつけられ、
不登校の娘からも拒絶されていた私が、
あるお坊さんからもらった教えを実行したことで
娘から
『結婚するならママみたいな人がいい』
『産んでくれてありがとう』
と言われるようになった、
さくなの物語です。
ここでは自己紹介も兼ねて、
妻としても母としてもダメダメだった
シングルマザーが
なぜ不登校娘と心を通わせることが
できたのか
という話をしていきたいと思います。
娘は中学1年生の秋、
いじめがキッカケで不登校になりました。
最初は友達同士の些細なもめごとでしたが
部活を巻き込んだいじめに発展。
首謀者のいじめっ子に目をつけられて
しまったのです。
教室に入れず部活にも行けず、
修学旅行にも行くこともできませんでした。
学校の先生にも相談しても、
思春期外来に行っても心療内科へ行っても
解決できません。
ただ「見守りましょう」と
言われるだけです。
どこへ行っても何を聞いても
解決できません。
私は娘への思いと心配のあまり、
必然的に口出しが多くなりました。
娘と離れて暮らしていたので
日頃の様子が分からなかったからです。
過干渉となった私は思春期の娘から
「親ぶるのやめろ」
「ありがたいけど迷惑」
「ウザい」と
拒絶され、どうしようもなく辛く苦しい日々が続きました。
夫から必要とされない…人生のどん底から誰かたすけて
そもそもなぜ娘と離れて暮らすことになったのか…
それはまず夫との関係が悪かったからです。
実は当時、夫から一方的に離婚を言い渡されていました。
なぜなのか原因は分かりません。
「なんでなん?私なにが悪かったん?」
と聞いても何も言ってくれません。
私は離婚に納得できず、
かといって話し合いもできず、
精神的に不安定になり、
会社でも急に涙が出たり、
過呼吸になって早退したり、
鬱の一歩手前まできていました。
「悲しい…辛い…今日も涙があふれる…」
「これがこの先ずっと続くの…?」
「このままじゃ私はダメになる…」
「よし!」
私は悩んだ末に別居をきめて、
生活していくためにWワークを始めました。
不登校の娘とそのお姉ちゃんも応援してくれました。
しかしそこで問題が…
お姉ちゃんは県外の大学生。
当時娘は小学校6年生でした。
Wワークをするとなると
娘の面倒を見れなくなります。
朝は学校へ行く前に家を出ることになり、
帰りは寝るころです。
休みもバラバラですし、
側にいてあげられない。
そこで娘は夫の元で
暮らすことになりました。
「子どもがかわいそう」
「置いていくなんて、母親失格!」
「ひとりだけ自由になって
いい気なもんね!」
と言われそうですが、
それにはある思惑がありました。
「夫を自由にさせない。
大変な子育てで苦しめばいい」
「女がいたとしても
出入りできないだろう」
と夫を困らせたかったんです。
娘には悪いけどいい気味です。
一方的に離婚を言い渡した罰だ。
と思っていました。
だけどこんな子供じみた感情がのちに
大きな後悔となって現れます。
不登校はいじめが発端でしたが、
「夫婦仲が険悪だったからなのか…」
「別居で夫のもとに娘を置いてきたから
なのかもしれない…」
当時は後悔とため息の連続でした。
自分を責めて責めて責め続けていました。
辛い胸の内を相談していた高校の同級生は、とても心配してくれました。
私があまりにも憔悴しきっていたからです。
『そんな時にある方を紹介してくれました。』
その方はお寺のお坊さんです。
友だちは整体のサロンを営んでいて、
お坊さんにいろんな相談に乗ってもらっていました。
「とっても信頼できる人だから、
とにかく胸の内を話してみたらいいよ」
でもそんなお坊さんに何を相談すればいいのか…
夫婦間の相談なのか…
娘の不登校のことなのか…
それで不登校が解決できるのか…
会ったこともない方に相談なんて
出来るのか不安でいっぱいでした。
お坊さんとの出会い→親の価値観が崩壊 私を救った肯定術
友だちが姑問題やお店の経営など
いろいろ相談していて、
そのお坊さんのことをとても
信頼しているので、
私も「会ってみようかな」という
気持ちになりました。
このままでは八方塞がりでどうしようも
なくて、藁をもすがる思いで取り合えず
会ってみることにしたんです。
会って話を聞いてみると、
私がひどい過干渉になっていたことに
気がつきました。
無意識のうちに自分の価値観を
押し付けていたんです。
「娘のために早く学校へ行かせなきゃ」
「子どもが間違った方向へ行くのを
正さないと」
「朝早く起こして正しい習慣をつけさせ
ないと」
という感じで。
けどそんな世の中の常識を押し付けること
をやめて、娘が求めていること、
娘の価値観を「肯定する」ことに集中しました。
すると「ありのままの娘を受け容れればいいんだ」と思えるようになり、
気持ちに余裕ができてイライラすることなく、
「そんな考えもあるよね」
と否定することはなくなりました。
「そうだね、いいね」
と肯定することができました。
お坊さんの肯定術を元に、
娘と向き合ってみると
少しずつ娘の態度に変化が出てきました。
そして「ママ、ドライブに連れてって」
と誘われるようになったんです。
私「いいけど、なんでドライブなの?話しならいつでも聞くよ」
娘「だって助手席の方が恥ずかしくないもん」
隣の方が顔を見ずに話せるかららしい(笑)。
約1時間のドライブ。
日によっては、終始無言で一言も話さず
ドライブを終えたこともあります。
「今日は話したくなかったんかな?」
「話したい時にまた話すだろう」
と楽観的に考えました。
だんだん安定してきたのか、ようやく
自分で外に出ることができるようになり、
中三の三学期から少しずつ学校にも行くことができました。
おかげで卒業式にも出席することが
できたんです。
涙でせっかくの晴れ姿がぼやけていたけど、嬉しくて飛び上がりたいくらいでした。
高校も定時制の昼間部に4年間行くことなり、このころから娘はウキウキしていました。
それは、
「知らない人が多いから心機一転、
新しい学生生活を送れる」
「制服がないのでコスプレができる」
と喜んでいたんです。
それなのに、
娘を崖から突き落とすような出来事が…
いじめっ子が同じ高校に入学することが分かったんです。
「えっ!M子(いじめっ子)と同じ高校!」
「嫌や!せっかく生まれ変わるのに…」
「やっとM子(いじめっ子)と離れられると思ったんに…」
と娘は相当ショックを受けて、塞ぎ込んでしまいました。
そして心が不安定になり、感情のコントロールができなくなってしまったんです。
くり返される不登校⇒仮面夫婦1年半の辛かった二重生活
不安定になった娘はまた自室に閉じこもり、逆戻りしてしまいました。
高校でも保健室の常連になり、
保健室の利用率がトップとのこと。
「またか…」
深いため息とともにやるせない気持ちで
いっぱいです。
そんな時夫から
「娘が落ち着くまでしばらく
戻ってこないか」
と提案がありました。
釈然としない。
「嫌だと言っていたのになぜ自ら
そんなことを言うのか。」
「私たち夫婦の先が何も見えないのに
”今だけ”なのか。」
と不信感でいっぱいです。
しかし娘のこともあり悩んだ末、
二重生活をすることにしました。
Wワークなので朝は早く、22時ごろ帰宅。
娘は自室に閉じこもっているが、
相変わらず夜のドライブにも誘われる。
休日は自宅アパートで食生活改善のため、
おかずの作り置きを作る。
「忙しい」「辛い」「眠い」「疲れた」
いろんな感情が入り乱れ、
余裕がなくなってきました。
一番つらかったのは、
22時ごろ帰宅すると家が真っ暗なこと。
もちろん娘も夫もいるのですが、
それぞれ自室に閉じこもっています。
マンションなのでそんなに部屋が
離れてはいないのに物音ひとつしない。
「この家に私は何のために戻ったんだろう…」って思うと
孤独感が体中に浸みわたり
泣けてきました。
「朝起きて10分でいつの間にかいなくなる夫」
「ドライブ以外、自室から出てこない娘」
「何のため?疲れた…もうここに来たくない…」
一人ぼっちの寂しさより、
人がいる孤独の方が何倍も寂しく感じたんです。
「私はいったい何をしたいのか…」
感情が湯水のようにあふれ出て、
私は声を押し殺して泣きました。
自分の心が折れてしまいそうでも、
諦めずに娘と向き合い続け、
その結果、状況が変わったんです。
「顔を合わさなくても同じ屋根の下にいるというだけで心が休まった」
ドライブの中で娘が言われた一言が本当にうれしかった。
また同じ頃、
いじめっ子もタバコや飲酒が見つかって
退学となり娘も救われました。
娘は落ち着きを取り戻し、
相変わらず保健室にお世話になりながらも
学校に行けるようになりました。
劇的に変わった娘から⇒ママと暮らしたい
1年半におよぶ私の二重生活も
終わりを告げることになりました。
娘が「ママと暮らしたい」
「パパのマンションより、
ママん家の方が居心地がいい」と言ってくれたんです。
今のアパートは手狭なため
一緒に住めるアパートを探して、
早々にお引越し。
新しい生活の始まりです。
私はこれを機にWワークをやめて
1か所で正社員になることを選びました。
シフト制だけど移動時間もなく、
今までより時間に余裕があります。
そして正社員になったことで
給与面でも楽になりました。
娘を養っていける目途がたったため、
私は正式離婚に踏み切りました。
娘の不登校やいろいろな出来事がありましたが、
お坊さんの”肯定術”のおかげで、
とにかく前を向いて歩くことができたんです。
離婚したくなかった私でしたが、
後悔はありません。
もしもあの時…
・お坊さんに肯定術を学んでいなかったら…
・娘の気持ちを受け容れられなかったら…
娘とは今でも何でも話せるし話してくれます。
20歳を過ぎてから宅飲みや
恋バナもする友だち母娘になりました。
そして「ママみたいな人と結婚したい」と言ってくれます。
先日は娘が自分の誕生日なのに
私に花束を贈ってくれました。
メッセージカードには
『しんどい時もあったけどたくさん話を
聴いてくれたおかげで、わたしはわたしを
見失わずに過ごすことができたよ』
『たくさんの愛をありがとう』
『わたしを産んでくれてありがとう』
と書かれていました。
飛び上がるほど嬉しかった。
号泣!!でした(笑)
今までがむしゃらにやってきたことが報われた思いです。
最後に・・・
現在24万人のお子さんが不登校を
経験しています。
行きたくても学校に行けずに
苦しんでいるお子さんも多いのではないでしょうか。
また親御さんも辛くてどうしたらいいのか
分からなくなっている方も多いと思います。
私はそんな不登校で苦しむ親御さんの力になりたい。
それは同じ境遇の人から
『ありがとう』と言われるのが何より嬉しいから、
なんでも相談にのります。
時間は有限です。
子どもの十代ってキラキラして一番輝いて
いると思うのにただ見守るだけ、
ただ待って過ごすより、
いっしょに解決につながる近道を見つけましょう。
そして
私に出会って現状を変えた人と、
いつかお酒飲みながら笑い話にして語り合いたい!
私の経験をもとに少しでも明るい未来を描いて欲しい!
そんな願いを込めて、
子どもとの向き合い方や
将来の不安を取り除く方法を
発信していきたいと思っています。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。